「社会福祉法人恵寧会 住用の園」の創設ストーリーと沿革についてご紹介します。
創設者・政眞哉が描いた、ふるさとの夢。
『奄美のお年寄りに幸せに生きていただきたい』
「住用の園」創設の動機となったその思いが生まれたのは、創設者・政眞哉(つかさ しんさい)が、第2次世界大戦に軍医として出征した体験に遡ります。
出征先のフィリピンの激しい戦闘の末、多くの戦友を失った壮絶な経験をした政。戦友達への弔いの念、生かされた自分の命を思うとき、「ふるさと・奄美のために尽くす」という使命を自らの人生の責務として課したのです。
戦後、医業一筋を貫きながら、地域貢献に努め、名瀬警察署の嘱託医として救護や診療、司法解剖等を手掛け、またハブの血清注射の指導等にも尽力しました。昭和61年には勲五等双光旭日章受賞の栄誉も賜りました。
人をして「確固たる信念の人」と評された政。高齢化が大きな問題となっていた奄美において、老人福祉施設のなかった住用に、地域の老人の安らかな暮らしのためにと開設に名乗りを挙げました。そのとき、齢70歳。人生最後の地域へのご奉公という渾身の思いを込めて、信念を持って新しい事業へと漕ぎ出すことを決意しました。
他にも住用地区での申請者もありましたが、地域や高齢者への熱き思いを伝え、実情をつぶさに説明することで、県から設立が認可され、平成6年11月1日に開園にいたりました。
介護事業への新しい挑戦。一つひとつの壁を乗り越えて、設立へと進んでいきました。今なお貫かれている「利用者であるお年寄りの幸せを一番に考える」という基本理念は、当初から施設運営の中心としてありました。
園で働く人材もまた、政ならではの人物観によって適材適所で人選し、相手の立場に立つことの大切さを説きながら、職員教育を行いました。その思いは、2代目理事長であり、初代と同じく嘱託医としても園を支えた政眞太郎に受け継がれ、さらに3代目理事長となった土持圭子、そして多くの職員たちの胸にも永く刻まれることとなり、未来を担う新しい世代へも伝えられています。
「見返りを求めない仕事をしなさい」。政眞哉とそれを影ながら支えた妻・和子が大切にしていた奉仕の精神。その思いから生まれた「住用の園」。平成12年に妻・和子、平成16年に政眞哉逝去。しかし今もなお、ふるさとに描いた夢は、受け継がれ、ここに宿り続けています。
沿革
平成5年 | 社会福祉法人恵寧会設立 政 眞哉 初代理事長就任 |
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平成6年 | 住用の園開園(奄美市住用町大字西仲間字川渡35-1) |
通所介護(デイサービス)事業開始 | |
平成7年 | 在宅介護支援センター事業・訪問介護(ヘルパー)事業開始 |
平成12年 | 介護保険制度スタート |
平成16年 | 政 眞太郎 理事長就任 |
平成17年 | 住用の園開園10周年記念式典 |
平成21年 | 土持 圭子 理事長就任 |
平成22年 | 奄美豪雨災害により被災・事業中止 |
居宅介護支援事業・ホームヘルプサービス事業再開 | |
旧東城診療所に仮事務所設置 | |
デイサービス事業再開(奄美体験交流館) | |
平成24年 | 移転新施設建設工事着工(奄美市住用町大字摺勝451-3) |
新施設竣工 | |
事業再開 | |
平成25年 | 伊藤鹿児島県知事来園(防災視察) |
平成26年 | 住用の園開園20周年式典 |